「弾き〈ひき〉三味線」。この奏法の歴史は、先人たちがあみ出してきた生きるための営みである。 津軽三味線の奏法は大きく分けて2種類ある。「叩き三味線」と「弾き三味線」。前者は激しくバチを太鼓に叩きつけるため、弦楽器と打楽器の両方と称され、ダイナミックな奏法である。それに対し後者はバチを太鼓にふれさせない。糸を「弾く」奏法で、いわば西洋音楽の弦楽器のように、響きが非常に豊かで、音が澄んでいるのが特徴だ。 バチを太鼓に届かせないため、手首のしなやかな動きやバチを糸にあてる角度など、熟練されたテクニックと日々の研鑚が求められる奏法である。 この「弾き三味線」の名人といわれたのが、初代高橋竹山師である。師は津軽三味線を生きる糧としていた。津軽路の厳しい吹雪の中、生きるために一軒一軒家を巡り、津軽三味線を弾きつづけた。なるべく糸を切らないよう、また、厳寒の中、激しい動きなどできないからこそ、生まれたのが、「弾き」の奏法ではないだろうか。 そんな先人たちがあみ出した奏法を受け継ぎ、自分というフィルターを通して、津軽三味線に命をかけている男がいる。 彼は、14歳で名取りとなり、一時はその名で演奏活動を始めたものの、師の直弟子ではない孫弟子であるが故に、その名で活動を続けることに違和感を感じていた。また他の楽器とのセッションや作曲活動に幅を広げるため、本名で活動を開始した。 彼が本名で制作した第1作目のCDが「ROOTS TABIBITO」である。このCDを作る際、彼は津軽の唄が発祥した地を実際に旅している。 彼はこのCDによせて、「地元の人々には、その唄の心が沁みついている」からこそ、「津軽の唄が生まれた土地を旅することで、“唄”の心を、心と体で感じたかった」と語っている。 唄の心を知っての演奏と、そうでない演奏は、まさに天と地の開きがあるように思う。唄の伴奏楽器であった津軽三味線を独奏楽器まで高めたのが、竹山師であった。師は誰よりも「唄の心」を知っていた。この「唄の心」を知らない演奏は、独奏したところで三味線は唄わないのである。 三味線を唄わせ、そして、津軽三味線のルーツを表現する。それが、彼の使命であり、生きる糧である。 彼の演奏はまっすぐでやさしく、そして力強い。彼の音は、彼のまっすぐで素直な性格そのものである。また、ぴんと伸びた姿勢から出される音は、やはりぴんとまっすぐな音である。 誰よりもまっすぐで、誰よりも素直で混じり気がなく、そして誰よりも頑固にこだわる。 だからこそ、彼から目を離せない。 彼の名は 小林 史佳。 |